薔薇

  目の前、鼻先に触れそうな距離に差し出された其れは、少なくとも此の辺りには見掛けないものだった。
 酷く鮮やかな紅色だと、先ず思いながら。
「なにかな。」
 其の紅色の向こうへ問うた。
「軍神様へ、ちょっとした土産ってヤツだ。Rosaってェ西方の花だとよ。」
 返る言葉は何事も無い素振り。
 只、此方を見る隻眼の瞳だけが、何をか企む子供のようにきらきらしている男。
「そんなめでは、なにかふくみがあろうこと、すぐしれてしまいますよ。」
 細く笑うようにそう言って手を伸ばす。
 受け取る為の其れが、其の花の茎、指先に触れる触れないの寸で止まり。
「あくいでなかろうということはわかります。が…」
 男の眼を強く見返した後、再び手指は動いた。
 花の茎を、くい、と握る。
 表情は一切変えず、変わらず、只男を見返す侭。
 暫しの間、どちらも其れ以上の動きは無かったが、ふたりの間にひとつだけ動きを見せるものが現れた。
 茎持つ手から小さな粒が生じ、ゆっくりと膨れ、そして雫り落つ。
 地に、明らかな染みを作る其れは、赤かった。
「おい。」
「なんですか。」
「おいってば。」
「だから、なんですか。」
 呼び掛けられ淡々と答える表情に一切の変化は無く。
 代わり、男の、子供のような色を宿していた隻眼が、明らかに狼狽えた色になった。
「……ハ…わかった、わかったって。降参。Give-Upだ。だからすぐ離せ。」
 些か顰め面になった男がそう言葉を発したところで、漸く、握る力を緩める。
 地に引かれる摂理に、また落ちようとゆっくり膨らむ赤い粒。
 男は其の粒の生じる手指を掴み、抉じ開けるように開かせた。
 花を握る細く白い手指、滲むような僅かな赤い流れ。
 其の色の対比に、男は一瞬嫌なものを思い出した、が、今は捨て置き。
「何もこんな強く握る必要ねェだろうが…。」
 花を退ければ、其の花の茎にある棘が作った微塵の刺し傷。
 未だ僅かな赤い雫りが生じて。
「わたくしのちをながすをきたいして、これをわたしたのでしょう。」
 些細とはいえ痛みは確かにある筈だが、其れでも尚、其の表情を崩すことも無く紡ぐ言葉。
「ですから、そのきたいにそうてみたまでのこと。」
 事も無げ。
「いっつもすました顔してッから、ちょいといつもと違うReactionでもしてくれりゃ其れで良かったんだ。普通此処までするとは思わんだろうが。」
 肩を落とすように言いながら、男は掴んでいた手を唇に寄せた。
 鼻腔に入る、戦場で嗅ぎ慣れた鉄の匂い。
 此の様からも、男のしようとしていることは理解できた筈。
 常の態度ならば、或いは平手のひとつも喰らおうかというところだが、何故か今日に限って其の手は引かれもせず、何の抗いも無い侭、男の唇が触れるを許す。
 唇の隙間から舌を出し、まだ固まりきらない赤い雫を其の舌先に載せれば。
 確固たる、此れは血の味。
「…まぁ、目的は…此れでも達成出来たか。」
「…わたくしはちをながさないとおもっていたのですか。」
「ァー…軍神様だからなァ? 甘露でも流れてんじゃねェかと思ってたぜ。」
 男を見返していた目は、返る軽口を呆れたように緩く閉じ、開いて。
 表情は微苦笑を湛えるものになっていた。
 其の間にも、男は赤い粒を舐め雫っていたが、傷の数も深さも大したものでは無く。
「わたくしのなかにながれるものも、ただのなまぐさい、いきもののあかしですよ。」
 赤い流れも粗方消えてしまえば、其の言葉を向けてするりと手は男から逃げた。
 手は、一旦は退かされた花を、今度は棘を避けて握り、抜き身の剣を構えるようにゆらり揺らす。
「みをまもるため、けなげなつるぎをもったはな。…きらいにはなれません。」
 男に言い、ありがたくちょうだいいたす、と、礼を告げれば。


「…そいつァ、アンタのことかい?」


 男は訊き返す。
 其の花の剣に斬られるのも或いは一興、と、笑いを込み上げさせながら。
 


 赤い花、甘露の色。