「───ぁあ…───」
 己が腕の中で、溜息のような、吐息のような、息のような、声のような、其れ。
 細く、不規則に、切れ切れに、断片的に響く。

 其処は…此処は明るい。
 今、時間は確かに夜の範疇。
 なのに、何の光が差す訳でも、灯りを点けている訳でも無いというのに、やはり、明るい。
 身体を重ねた相手の、其の身体を余すこと無く見ることが出来る程に、明るいのだ。
 動くのを止めて、其の明るさに視野を馴染ませる。
「…どう、しましたか。」
「いや、…明るいと思うてな…」
「あかるい?」
「ぬしが、よく見える。」
 明るい中に浮かぶ輪郭に、指が触れた。
 そして其の侭、五指は輪郭の線をなぞる。

 鼻梁を、
   鎖骨を、
     顎を、
      咽喉を、
        鎖骨を、
          肩を、
           腕を、

───…腕?
 いずこぞ?
 触れているのに、明るいのに、たった今でも、記憶の中でも、其の腕が、何処に在るのか見えない。
「ぬしの手・・・腕は何処ぞ?」
「わたくしのですか。」
「いかにも。ぬしのだ。」
「どうみえますか? あなたがみたいとおもうようにみえるはずですが。」
 宛ら、謎掛けのように返る答え。
 其の言葉に、見たいと思う腕がどんな腕なのかを考える。
 が、然し、考える腕はどの腕も、己が見たいと思う腕ではなかった。
「どんなうでをみたいのですか?」
 問われても、其れを答えることが出来ない。
「あなたにさしのべるうでですか?」
 見えない腕が己へ差し伸べられた。
「あなたをもとめるうでですか?」
 見えない腕が己を柔らかく抱き締めた。
「あなたをこばむうでですか?」
 見えない腕が己を強く拒絶した。
「なにもせずただあるだけのうでですか?」
 見えない腕は己の身体を離れて何もしなかった。
「…どれも、儂の見たい腕では無いようだな。」
 答えれば、返ってくるのは笑みのみ。
 答えに窮し、自らの腕を考える。

 ───こうして己が腕に其の笑む存在を閉じ込めているのは、己がそうしたいと願うからだ。
 だとすれば、己が見たいと思う腕、とは…───

「…ぬしは、腕をどうしたいのだ?」
「しりたいですか。」
「どうしたいのだ。」
 言葉を繰り返しての問いに、少しの間を空けて、小さく静かな、然し確かな哄笑が響いた。
「しりたいですか? みえないわけとおなじこたえを。」
 聞くべきでは無いのだろうか、と思わせる問い返し。
 然し答えを得ねばならないと、却って強く願わせるものでもあり。
「わたくしは」
 哄笑う声は止む、が、返る答えには響きが残っていた。
「みせたくないのです、うでを。」
 挑みかかるような、何処かしら、尖った気配を思わせる口調で、答えを紡ぐ。
「たとえばいま、あなたが、わたくしをくびりころそうとしたしましょう。もちろんわたくしはくるしがる。からだはひきつり、もがくでしょう。けれどあなたは、そのもがくうでをみることはかなわない。よしんばみえたとて、それは、あなたがみたいとおもうだけの、まぼろしのうでにすぎないのです。」
 一息にそう言って。
「あなたにだけは…みせません。」
 真正面、青い光伴う視線が射るように己を見上げ来る。
「儂には見せんというか。」
「みせません。」
「此の先ずっとか。」
「みせません。」
 此れ以上無く不遜な貌をして、然し其の目の縋るような色は何故なのか。
「…やれ、もう少し其の厄介な意地張りはどうにかならんものか。」
 ややあって、己の深い溜息と呟きが漏れる。
 頑なな意地に本気で呆れながら、其れでも。
 逆説的に、酷くさかしまに、見えない「腕」が己だけのものである、ということを、宣言されたことは間違いない。


 つまりは、そういうことであったのだ。