軍神
日課である毘沙門堂での朝の勤行を終え、堂を出てきた謙信の目の前に、退屈そうに、如何にも暇を持て余している、といった風情の男が立っていた。
「どくがんりゅう。」
此の朝まだき、例え知らぬ顔では無いにせよ、側仕え以外の者がこんなところに居るなど、常ならば在り得ない。
込み上げた欠伸を隠しもせず、己の通り名を呼ばれた其の男、伊達政宗、は、呆れたような顔をしている謙信に、通り名の由来である其の独つ眼の視線を向けた。
「Hey,mornin' …こんな時間から熱心に御苦労さんなこった。毎朝お籠もり、飽きねェかい?」
「あさになればひはのぼる。そうもんにあるものなれば、きんぎょうはそのせつりにおなじ。なにをあくと。」
挨拶なのか揶揄なのか、軽い調子で声を掛ける政宗に、謙信の返す答えはいつもと変わらず淡々としている。
尤も、政宗の方も謙信のそんな態度には既に慣れて、気にしたふうも無く軽口を続けた。
「おいおい、アンタぁGod、軍神様だろ? 仏なんぞ放っておいて、もっと自由に振る舞えばいいだろォに?」
「かみとは、ほとけにしたがい、ぶっぽうをしゅごするものです。そなたはおさなきころ、とくたかきそうにしじしたとききおよびますが、おぼえはないのですか。」
「さぁな。ひょっとするとそんなことも教わったかも知れねェが…。まぁ、此の世を生き抜くには神も仏も関係無ェ、ってことは覚えたな。どれだけ畏れようが信心深かろうが、結局頼りになるのは自分と、自分の力だ。まぁそんなこた軍神様だって百も承知だろうがよ。」
不遜に嘯いて、にやりと弧を描く口許。
そして其れに似た弧を、其の独つ目も描く。
竜の笑み。
その竜の笑みをひたと見て、それから、謙信は静かに口を開いた。
「……わたくしは、みずからをぐんしんとなのる。」
「そいつァ知ってる。」
何を言い出したのか、と僅かに訝る様子を見せた政宗に柔らかく視線を向ける。
「ひとはみな、しすればほとけ。……ならば、かみは?」
向ける視線と共に、問いをひとつ。
その答えが即座に出るものではないことは明白で、流石の政宗も一瞬口篭らざるを得なかった。
「神も死ぬのかい?」
問いに問いで返すのは、答えに窮したことを認めるようで癪には触る。
だが、そう問わねば答えを返す前提が作れない。
「むろん、かみもしをまぬがれることはありません。」
問いの問いを、謙信は、言い澱む気配もなく即応した。
「ぶっぽうをしゅごするためなればこそ、かみはつよくおおきなちからをもち、あらゆるのぞみをかなえることができる。しかし、それゆえに、あらゆるのぞみをかなえたいというよくぼうを、おさえることができない。かみとは、そういうそんざいです。」
欲望を捨てられぬ神は、六道と輪廻から解脱できず、死からもまた逃れられないのだと。
「……それで、アンタは人かい? 神かい?」
暫しの無音を挟んで、政宗は再度、問いを投げた。
それは嘗てから常に思う疑問であり、そして今改めて、この目の前の存在はなにものなのか、抱いた疑問でもある。
政宗の思考に呼応するように、謙信は緩い笑みを浮かべた。
細い糸のような、諦めにも似、自嘲にも似、救いにも似、安堵にも似た、そんな笑み。
人の身で神ならば、或いはそんな、あらゆるものから遠い笑みを作れるのかもしれない、と政宗は思う。
「わたくしは、みずからをぐんしんとなのる。」
笑みする唇が、先刻紡いだものと同じ言葉を紡いだ。
「つまり… どんなものよりもよくぶかく、そしてごうぶかいものであるということですよ。」
欲という言葉からすらも遥かに遠い笑みが、そう答えた。