夢ならば簡単

  赤木が夢に出てきたことなど、これまで一度もない。
 ひろゆきが、密かな劣情を以て赤木を見ていた時でさえ、一度たりとも。
 それなのに赤木は、死んでからひろゆきの夢に出てくるようになった。
 夢の中の赤木は、生きているときと変わらない、否、生きている時以上に生々しい存在感を持っていた。
 夢はいつも同じ始まり。
 沈むように静かな、海の底のような静謐さの漂う部屋で、赤木は部屋の壁に背を凭せ掛けて座り込んでいる。
 在りし日の、いつかのように、煙草を燻らせながら、遠くを見つめるような目をして
 そんな赤木をひろゆきが見ているのに気付くと、これも嘗て在った頃のように、よぉ、と軽く挨拶するような素振りで手を上げて、笑い掛けるのだ
 それは、最早既に有り得ない「いつも」の景色。
 ひろゆきは、とにかく一緒に過ごせる時間を少しでも長く留めたくて、マシンガンのように赤木に話し掛ける。
 その日の出来事や感じたこと、楽しい嬉しいそんなことだけではなく、愚痴や不満のようなくだらない話までも、とにかく延々と。
 それを聞く赤木の表情も、いつかの、いつもの、あの笑顔。
 こんな夢が、あの日からずっと続いている。
 あの日。
 目の前で死に逝く彼の人を見ていたのだから、死んだことを嘘だなどと、思いはしない。
 けれど、それでも、死んでしまったということが信じられなくなりそうな程、夜毎、赤木は夢の中で笑っていた。
 この人は、実は死んでいないのではないか、或いは、死んだけれど生き返ったのではないか、とつい考えてしまうほど鮮やかに。
 お願いですから、そんなに美しく笑わないで下さい。
 ひろゆきは夢を見始めた当初、そう願った。
 赤木が死んだことを嘘だと思いたがる自分、そんな自分がまだ此処にいるからだ。
 その笑顔、その美しいことこそ、赤木が死んだ何よりの証しだというのに、死んだことを反故にして戻って来てくれたのだと、夢を見るたび信じそうになってしまう己の勝手な感情。
 夢から覚めれば、赤木はいないというのに。
 彼は死んだのだ、と、一体何度思い知らされればいいのか。
 夢の中でしか逢えないのだ、と、夢から覚めるたびに打ちのめされる朝を、何度迎えなければならないのか、と。
「本当に、赤木さん、あなたは……あなたという人は!」
 眠り消えた後、飛び起きてそう叫んだことさえある。
 だがそんな夢を早や幾夜も過ごしたある日の夢の中、ふと唐突に気付いた。
……そうか、夢だ。
 よく考えれば、いや、考えなくとも、これは夢なのだ。
 ひろゆきが勝手に見てる夢なのだから、むしろひろゆきの思いどおりになる、できる筈。
 気付いてしまえば、開き直ってそう考えるようになるのに時間は掛からなかった。
 夢なのだから。 
 大体、赤木に逢えなかったのは、今に始まったことでもない。
 何かに縛られるのが嫌いな性分の、風のような彼の人は、生きていた頃だって頻繁に逢えるわけではなかった。
 それを思えば、今のこんな状態も、今日も逢える、と現実で思うか夢の中で思うか、たったそれだけの違いに過ぎないのだ。  
 むしろ逆に今なら、ひろゆきが眠って夢さえ見れば、いつでも逢える。
 こんなに簡単に。
 そう、こんなに簡単なことだったのに、どうして気付かなかったのだろうか。
 そしてひろゆきは、夢を見るのを楽しみにするようになった。
 あぁ、今日もあなたに逢えるんです。



  これは夢。
 ひろゆきは、寝る前に枕の下に、そう書いた紙を置いた。
 夢の中で赤木に逢うと、嬉しさで舞い上がって、夢だということを忘れてしまうことが間々ったからである。
 夢だということを夢の中の自分が忘れなければ、夢は思いどおりになるのだ。
 それから、眠りに就く前に、昔聞いた、心地好く入眠できるという方法を実践してみた。
 と言っても、温めた牛乳に砂糖を入れて甘くして飲む、ただそれだけのことだったが。
 昔、大学の同級生の女の子にそんな話をされたときには、まるっきり少女趣味の眉唾だ、と思って頭から信じてなかった。
 然し、夢を見るに当たって少しでも早く眠りたい、心地好く眠りに入りたい、と考えるようになってその話を思い出し、思いつきで思ってやってみたら案外効果があったので、ひろゆきは続けることにしたのだ。
 眠りに落ちれば、赤木が目の前にいる。
 ホットミルクの効能を喜々と話すひろゆきを、やはりいつもの笑顔で聞いている。
 今は、ひろゆきと赤木だけの時間だった。
 それを実感する度、もっと早く気付けば良かった、と今更ながら悔しく思わずにいられない。
 そうすれば、もっと早くからこの時間を堪能できたというのに。
 だが、今はもう違うのだ。
 ひろゆきは、これを夢と自覚している。
 そして夢だからこそ、夢を何処まで思いどおりにできるのか、ちゃんと把握しなければならない、と思っている。
 夢を夢と自覚できるようになってから、その方法をずっと思案してきた。
 今日、その手始めをしよう。
 そう決心して、ひろゆきは赤木に向けて手を伸ばす。
 これは、夢の中での自発的行動。 
 その先に起こり得るあらゆる事象を想像しながら、目の前の赤木に触れようと伸ばした手の指は、然しというかやはりというか、予想どおり、その姿を通り抜けて、空を掻いた。
 瞬間、ひろゆきの思考にも「やはり」と「だけど」が交錯する。
 ひろゆきが赤木に触れられないのは、あの日、彼岸此岸に分かたれた現実を既に知っているからだ。
 存在する場所が違うという意識が既にあり、そして理解しているからだ。
 だからそれが、触れられない、という形で夢の中の事象になっている。
 これを夢だと認識する前の自分だったら、それに気付かないまま夢の中でまで絶望していたかもしれない、とひろゆきは思った。
 然し。
「…これは夢。」
 全ての意識と無意識に左右される、これは夢。
 枕の下においた紙の文字を思い出し、呟いて、もう一度手を伸ばす。
 すれば、手の指のその先は、今度は空を掻くことなく届いた。
 赤木の頬へ。
 その瞬間、赤木は、おや、という顔でひろゆきを見る。
 ひろゆきの方は、得意満面だった。
「夢なんです。」
 呟きを繰り返すように口にしながら、ひろゆきは伸ばした指を赤木の頬の上に軽く滑らせる。
 そんなひろゆきの様子を、赤木は何やら感心したような表情で眺めながら、その指の触れるに任せていた。
 指の腹に触れるその肌はさらりとして、心地好く肌理細かい砂のような、そんな感触をひろゆきに思い起こさせる。
 その感触、それはそのまま、ひろゆきの中に眩暈の如く昏倒しそうな程の強い恍惚を引き起こしていく。
 触れている、その事象だけでも奇跡のように思えるのに、其れがこんなにも心地好いものであるとは終ぞ知らなかった。
 こんなふうに、意図を持って触れることも初めてなのに、赤木は嫌な顔もせず、むしろ面白そうに笑っている。
 その笑顔が、ひろゆきのなかでちきりと小さな箍を外した、のかもしれない。
「ずっと、触れたかったんです、ずっと。赤木さんに。」
 頬に触れる手指だけでなく、もう片方の手で赤木の袖を掴んだ。
 軽く引き寄せるように更に近付いても、赤木の表情は変わらない。
「触れたかったんです。だから、赤木さんが何も言わないなら、俺、このまま図に乗りますよ?」
 これは夢。
 魔法の呪文のように、あの言葉が俺の頭の中を駆け巡る。
「何されても、知りませんよ?」
 この場合、夢にまで見た、というのは言葉どおりなのだろうか。 
 言い訳か、免罪符か、其れが何でももう構わなかった。
 頬に置いた手を支えにして、ひろゆきはゆっくりと、赤木に顔を寄せる。
 手に触れるさらりとした感触は、唇で触れてもやはりさらりとしていた。
 触れることができた感激と、知覚するその感触を追うことに全ての思考を持っていかれたように、ひろゆきは赤木の頬のさらさらと音のしそうな肌理の上を、ただただ唇で繰り返し辿る。
 その行動が赤木の苦笑を更に誘ったようで、くすぐったそうに片目を瞑り、声になる程ではないが、喉にくつくつとこみ上げているらしい笑いを隠しもしない。
「わ、笑うなんてひどいじゃないですか!」
 その笑いに気付いたひろゆきの、感触を享受していた唇から、悪戯を見咎められた子供のような非難めいた声が上がった。
 それでも笑い続ける赤木に憮然としながら、然し確かにこれは赤木さんだ、と奇妙な安堵を覚えて、ひろゆきはつられるように笑い出す。
 夢ならば簡単なのだ。
 こうやって逢うことも、こうやって触れることも、こうやって笑い合うことも。
 これは夢。
 幸福になる為に夢を見ることは、多分、悪いことでは、ない。



  夢と夢の中の行動を自覚してから、ひろゆきの生活は夢を見ることが基準になった。
 あの日の絶望感がまるきり反転したような今の幸福感は、夢だからこそ感じられるものであるとわかってはいたが、夢の中の幸福を思えば、目覚めてもまた次の夢を思って幸福でいられる。
 だとすれば、この夢の幸福を手放す理由などある筈もなく。
 夢に暮らし、目覚めを眠る、そんな状態の日々。
「キスしますよ、赤木さん。」
 夢のいつもの部屋、そのいつもどおり、赤木が煙草を燻らせている。
 その煙草持つ手を軽く押し退け、ひろゆきは紫煙の香る唇に自分の唇を寄せた。
 何となく断りは入れるものの、最初の自発的行動のときを考えると、随分大胆に行動するようになったなぁ、などと他人事のように考えながら。
 唇をさりさりと触れ合わせ、それから、確かめるように割って入る。
 肌の感触とは全く違う、温かく濡れた感触がそこにあるのをゆっくり味わうように、少しずつ舌を入れていった。
 初めて触れてからこちら、既に何度もこうやって触れているのに、触れる都度、何故かものすごい奇跡を目の当たりにしたような感銘を覚えるのが、我ながら不思議だった。
「柔らかいですよね。」
 顔の角度を変える合間に呟くと、ふっと風が流れるように赤木が笑う。
 その余裕な感じが癪に障る半分、然し残り半分は、赤木さんだから仕方ない、に結局帰結した。
 そのまま深く舌を差し入れて、執拗に、合わさる唇から苦しそうな息が漏れるまで放さずにキスを続ければ、ささやかな意趣返しにもなる。
「夢って便利ですよね。それとわかって願えば、叶っちゃうんですから。あ、服、取りますよ。」
 唇を離して、息を吐いている赤木にひろゆきが言った。
 手はその言葉どおり、赤木の服を取り去るべく動く。
 ジャケットのボタンは留められていない。
 これは嘗て在ったころからのアカギの主義なのか、きちんと留められているのをひろゆきは見た覚えがない。
 だから、夢の中でも留めていないのだろう。
 シャツのボタンに手を掛けて、ひとつひとつ外しながらそのシャツに目を落とせば、そこにあるのは、質も仕立ても良いのに思わず閉口してしまうほど趣味の悪い柄。
 尤も、そんな柄でも気にならなくなる程、赤木の印象と個性の強烈さは突出していた
 赤木を知る人ならまず異口同音に、同じことを言うだろう。
 あの秋の日も、このシャツだった。
 多分、赤木を思い出すときは、もうずっとこれ以外思い出せないのではないだろうか。
 そのシャツの中には、白い肌がある。
 最初に触れたときと全く変わらない、肌理細かい砂のような触り心地。
 その肌の上では、さらさらと、手が滑るように動かせた。
 最初は狭い範囲を触れているだけでも満足できたのに、触れ続けているともっと触れたくなって、ボタンを外したシャツを押し広げる。
「赤木さんが、こんなに柔らかくて気持ちいい触り心地なんて知ってる人は、きっとそんなに多くないですよね。」
 ひろゆきが言った言葉は、そうであればいいと思った、ただそれだけのものに過ぎないのだが、赤木の方はただ曖昧な笑みをその表情にのせ、その手で緩くひろゆきの髪を撫でた。
 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 撫でる手の動きを、そんな答えにならない答えと受け取って、微かな悲しさが過ぎりはしたが、それも今なら大した意味はない、とひろゆきは思う。
 何処にもいない赤木がいるのは、もう、この夢の中だけなのだ。
 自分以外の誰も、最早彼に触れることはない。
 それに気付いてからのひろゆきは、赤木に触れることを躊躇わなくなっていた。
 キスの続きを、顎から始める。
 顎の先から、下顎の線を辿って首の付け根に、そこから喉仏を経て鎖骨、勿論肩にも唇は向かい
とりあえず見える肌の部分をくまなく触れて巡っていった。
 けれどその内、唇だけでは足らなくなるのは自明の理、唇が存分に巡った後には舌で、余すところなく触れゆく。
 その間もずっと、触れられるに任せながら、赤木の手はひろゆきの髪を撫で続けていた。
 まるで、母の乳を探してまさぐってる赤ん坊みたいだ、とひろゆきは漠然と思う。
 心地好いけれど、あやされているのか、と思うと、今度は少し悔しい。
 どうせ赤ん坊扱いされるのなら、と舌先が探し出すのは胸の突起。
 勿論、そこに母を連想させるような豊満な胸はなく、そこにある突起も、柔らかく膨らんで乳を出したりはしない。
 あるのは、赤木の歳なりの少し骨の浮いた薄い胸であり、ただ小さな固いしこりのような男の乳首だ。
 然し、ひろゆきがそれに、ちゅう、と吸い付くと、赤木の身体がほんの少し震えた。
 赤ん坊に吸い付かれて感じる母親はいないよな、等と馬鹿馬鹿しいことを考えながら、二度、三度と繰り返し吸い上げる。
 するとそれに併せて赤木にまた震えが起き、その震えが伝わる度、ひろゆきの舌はいつも、ない筈の甘さを感じていた。
 味ではない。
 甘いという「感覚」だ。
 飽きずに吸い上げて、時々なめる。
 それにつれて少しずつ不規則になる赤木の息遣いが、ひろゆきの耳に届く。
 すると、甘さが増した。
「……もしかして、砂糖で出来てるんですか、赤木さんは。」
 そんな訳はない。
 変なことを言い出したな、とでも言いたげに、息を乱した赤木がひろゆきを見た。
 乳首に吸い付いたまま、ひろゆきも赤木に視線を向ける。
 僅かに上気した目許で自分を見る赤木の顔が視界に入ると、吸い付く肌が、更に甘くなった。
 五感に与えられる情報の多さが、幻想の甘みを生むのだと理解してはいても、やはり甘い。
 前歯で齧るように掻くれば、一瞬息を詰まらせる気配。
 それが、自分のひとつひとつの行動で返ってくる反応だと思うと、それだけで恍惚に浸ることができる。
 が、感覚を享受する身体もまた、快楽には正直だ。
 もっと。
 もっと、赤木さんを、欲しい。
 唇を、胸から腹へと滑らせていくと、そのすべらかな肌共々、薄い腹がひくりと波打った。
 腹の何処を滑る時に波打ったのかを覚えておいて、何度もそこへ唇と舌を行き来させれば、くすぐったいのか感じているのか、赤木はその都度細い吐息を漏らす。
 その間、ひろゆきの手は赤木のズボンを寛がせに掛かっていた。
 ベルト、これもあの時と同じもの。
 ズボン、これもあの時と。
「…赤木さんは……ホントに死んだんですか?」
 無機質な金属音がをたててバックルからベルトの先を引き抜きながら、ひろゆきは、思わず訊いていた。
 ズボンの袷を寛がせれば、そこには下着もある。
 生きている時の様相と何ら変わらないそれは、夢の中だというには奇妙にリアルで、実はあの日に繋がる現実の何処かから既に夢の中の出来事だったのではないかと、ひろゆきは一瞬疑ってしまったのだ。
 然しそれに帰る答えはなく、ただやはり、緩くひろゆきの頭を撫でる手だけが、答えのない答えを返してくる。
 考えても仕方ないこと、とひろゆきは受け取った。
 あれは本当だったと知っている、これが夢だと理解している。
 だから、好きに出来ると、好きにすると決めたんだった、と思い返して。
 赤木の腰を抱えるように少し浮かさせてズボンと下着を下ろして取り去ると、僅かに硬さを持ち始めてはいるが、まだ勃ち上がってはいない陽物が現れた。
 自分と同じ男の性器だが、然し同時に、同じとは思えないほど尊いものにも思える。
 赤木という存在をそれ程に神格視しているのか、それとも、ひろゆきが自分の性癖を知らずに生きてきただけなのか、それはわからない。
 尤も、今になってそれをわかる必要もないとも言えた。
 今はただ、欲しい。
 赤木であるならば、どんなものでも欲しいと思ってしまう。
 そっと脚を開かせて、その脚の間に身体を入れると、腰に抱きつくような具合に覆い被さった。
 未だ柔らかい陽物を、掌で包むように軽く握り込むと、まるで眠る雛のような風情。
 それを緩く扱き出せば、赤木の腰が小さく浮いて、僅かに逃げを打つ。
「ダメですよ逃げちゃ。これから気持ち良くなるんですから。」
 そう言って、逃がさないように赤木の腰骨の辺りを軽く押さえ込み、やわやわと陽物を擦り始めれば、今度は腰を捻るように動かすものだから、つい力を入れてしまった。
 途端、赤木がひくんと大きく跳ねる。
 跳ねると同時に、陽物も勃ち上がっていた。
「あぁほら、赤木さんの、勃ってきましたよ。」
 わざわざ口に出してその様子を伝えるのは、赤木の反応がその方が良くなるからだ。
 赤木の腿に、ことんと頭を置いて、根元から先へ向かって扱くと、ひくんと陽物が震えて硬さを増し、少しずつ角度を持って頭をもたげていくその様を眺める。
 それを間近で見る為に顔を近付け、息が掛かるか掛からないかの距離でじっと凝視しながら、まるで何かの儀式のように手淫を繰り返した。
 頭を乗せた腿にも、頬擦りをしたり唇を触れたり、遠巻きに煽るような刺激を与えていけば、こんな稚拙な行為によってでさえ、赤木の陽物は充血し熱を帯びて、手を添えなくても勃ち上がるようになっている。
 更に扱き続ければ、小さく息を呑んで堪えるような息遣いが、赤木の口から漏れ出た。
「感じてるのに、声を出さないように我慢するところが可愛いんですよね。」
 言いながら、まるで人魚姫みたいだ、と思う。
 実のところ、夢の中で、ひろゆきは未だ赤木の声を聞いていない。
 こうやって行為に及んでさえ、悲鳴じみた息を漏らすことはあっても、それが声になったことはなかった。
 ひろゆきは扱く手に少しずつ力を加え、ただ扱くだけではなく、張った雁に爪を立てない程度に掻いて刺激する。
 それにつられるように、赤木の口から小さな悲鳴のような吐息が吐き出された。
 やはり、声は出ない。
 もしや本当に、陸に上がることを望んだ人魚姫のように、この夢の中に来るために、声を引き換えにしたのではないか、などとひろゆきが考えるのは、些か少女趣味過ぎるだろうか。
 そんな妄想からひろゆきを引き戻そうとするように、寸断された行為に焦れた赤木が、きゅ、とひろゆきの髪に指を絡めて引っ張る。
 その微かな痛みに苦笑しながら、ひろゆきは行為を再開した。
 陽物と共に体積を増す後嚢を、もう片方の手で弄る。
 掌の中に包み込み、内部の丸いふたつの塊を指で形が浮き出るように転がすと、それに反応した陽物が撓って硬さを増しながら、その先端に透明な雫を生じさせた。
「濡れてきましたよ、赤木さん。」
 女を相手にするような台詞を告げる、陽物のすぐ際で。
 言葉と共に掛かる息に、ひくひくと震える張り詰めた陽物を扱く手を暫し止める。
 熱を帯びて脈打つ先は、雫に滲むように濡れていた。
 食み取るように唇でそこに触れ、ちゅうと啜ると、知識で知るとおりの僅かな塩みが舌に乗る。
 詰めた息、ごくごく僅かに、きり、と歯を噛む音。
 頭上から聞こえるそれを耳に入れながら、ひろゆきはそのままゆっくり、陽物を頬張った。
 先から雁までを、咥えては離し、離しては咥え、と繰り返し刺激して、時折舌先でその周囲をぐるり舐る。
 くふん、と鳴くような息。
 それを合図のように陽物を深く咥えると、赤木は背を反り身体を捩らせた。
 この強い反応に気を好くし、ひろゆきは咥えた陽物を啜り上げるように音を立てて口淫し始める。
 じゅっ、じゅっ……と唾液に濡れて立つ音は淫猥で、赤木を煽る為の筈のその音に、ひろゆき自身も昂りを覚え始めていた。
 下肢に、じわりと溜まる温度と鈍痛にも似た重さを自覚して、赤木の陽物を急き立てるように口淫しながら、片手を自分のズボンに掛ける。
 ファスナーを下ろして下着をずらし、自分の陽物を引き摺り出せば、既に充分な硬さを持って張り詰めていた。
 そして、赤木に与える刺激に合わせるように、自分のものを扱いて自慰に及ぶ。
「赤木さん…ほら、赤木さんだけじゃないんです、よ……っ」
 陽物の輪郭に舌を辿らせながら、自分も昂ぶっているのだと告げれば、上気して目許が熱っぽく潤む赤木の視線がひろゆきへと降ってくる。
 自分を見ているのだと意識すれば、それも即座に自慰の快感に混じりってひろゆきの思考を飛ばしていった。
 唾液まみれになった陽物が、律動するように脈打ちながら、またじわりと先を滲ませ始めたのを感じ、その鈴口に舌先を割り入れるようになぞらせる。
 赤木がびくんと大きく腰が浮かし、その拍子に突き出すような形で深く口内を満たした陽物を、ひろゆきは軽く歯を立てて少し乱暴に扱きたてた。
 また、くぅっ、と鳴くような息。
 然しさっきよりもずっと余裕は無さそうで、乱れた呼吸がそれに続く。
 イッてもいいですよ、と言おうとしたが、折角こんなに感じているのに止めるのも酷な気がして、そのまま陽物を責め立てる方を選んだ。
「…ん……っ!」
 ずずぅ、と一際大きくひろゆきが吸い上げた瞬間、熟した実が弾けるように、赤木の陽物がどくんと震えて相応量な精が放たれる。
 噛み殺したのか押さえ込んだのかわからない、引き攣った声のような呼気と共に。
「ふ…ぁ…! ひゅみまひぇ…ん!」 
 ひろゆきの方はというと、その精を中途半端に受け止め損ねていた。
 自分の陽物を手淫しながらだったのが災いしたか、放出の瞬間に跳ねた赤木の陽物を口から逸らしてしまったのである。
 頬から鼻先から、逃した赤木の精の残滓が、なまぬるさを伴ってどろり流れ落ちた。
 青臭い、男性であることを否応にも思い出す匂いが嗅覚を衝くが、然し、ひろゆきの中には嫌悪のようなものはやはり沸かず、これも赤木さんの一部なんだ、と奇妙に納得してしまう。
 口に残った分を、ごくんと飲んだ。
 喉は生理的にそれを飲み込むのを幾分渋ったようだったが、それも嚥下してしまえば、膨大な恍惚感に取って代わる。
 そのひろゆきを見て、未だ息を乱したままの赤木が、少し驚いた顔をした。
 が、次の瞬間、ククッ、とあの独特の笑い顔をして、ゆっくりひろゆきに顔を近付け、赤木は薄く唇を開いて、小さく舌を差し出す。
 舌は、ひろゆきの唇を舐めた。
 唇だけではない、唇から人中を辿った舌は、鼻先や頬にもすぐるように移り、ひろゆきが受け損ねた、己の放った精を丁寧に舐め取っていく。
 その間、ひろゆきは茫然となってそれを享受していた。
 自分が赤木に為すだけではなく、赤木が自分に為している。
 そのことが余りに衝撃だったのだ。
 赤木の舌が、ひろゆきから一旦離れる。
 その表情が苦笑いのように見えるのは、自分の精を片付けるという、多分、余り歓迎できない奇妙な状況の所為だろう。
 だが、赤木はひろゆきが自分の手で握り締めている陽物に、屈むようにして顔を近付けた。
 そのまま、おもむろに先端をその口に咥え込む。
「えっ、…あ、赤木さん!」
 先刻まで自分が赤木にしていたことを、今度は赤木が自分に対してしている、というその事実を認識するより早く、ひろゆきの陽物は膨れ上がっていた。
 温かい口内で存分に濡れることの快感に、充血し硬さを増し、今度はそこを犯すことにひろゆきの思考が持っていかれる。
 自分の股間にある赤木の頭に、恐る恐る、その位置を固定するように手を添え、ほんの少し腰を揺らした。
 口内深くを突けば、苦しそうな息が聞こえる。
 そんな息を漏らしながらも、赤木の口淫は巧みで、余りの心地好さにひろゆきはすぐにも達してしまいそうだった。
 赤木さんに、だしたい。
 夢の中、理性は最初から意味がない。
 肉体的には性の盛りである年齢の身体故に、踏み止まる歯止めはなく、ひろゆきは存分に昂ぶった陽物を赤木の口内に突き入れて開放を遂げた。
 赤木は吐き出された精を逃すこともなく、すぐには飲み下せなかったものの、僅かに上を向いて、口許に手を当て残らず飲み込んでいく。
 嚥下する咽喉の動きは、ひろゆきの目にはそれ自体が生物のようにさえ映った。
 ゆっくりと、口許に当てていた手で唇を拭うようにしてから、赤木が笑う。
 にぃ、と口の端を軽く上げる、屈託のないこの笑い顔。
 している行為の淫らさに似つかわしくない表情は、本当に、あのいつもの赤木のもので。
 あぁ、赤木さんだ……この人が赤木さんだから、欲しいんだ。
 ひろゆきの中に生じる渇望にも似た思いが、何より身体を灼く。
 望むものが手に入れば更に欲が出る、ということを、知らなかったわけではない。
 だが、夢でしか手に入らないということが、今は理不尽でならなくなった。
「ねぇ、赤木さん。これは夢だから、欲しいと願えば思うとおりになりました。…でも、やっぱり俺は、赤木さんが欲しいんです。」
 腕を広げて、赤木の身体を抱き締め、頬擦りするように肌を触れ合わせる。
 笑う赤木の耳元に恋慕を言い募りながら、ひろゆきはそこで天啓のように思い至った。
 自分が本当に願ったもの、その願いを叶えるための方法を。
 そして。
 決心した。 



  キスをすると、互いの精の匂いが雑じ交う。
 ひろゆきは、満面の笑みを赤木に向け、声高らかに叫んだ。
「行きましょう!」
 何かに急かされるように赤木の服を整え、自分の乱れた服も着け直す。
 おもむろに立ち上がり、そして、赤木の手を取ってこれもまた立ち上がらせた。
 何事が起きたのか、と目をしばたかせる赤木をの手を引いて、ひろゆきは意気揚々とこの静謐の部屋のドアを目指す。
 夢の中、初めて此処から出ることになるが、ひろゆきには確信があった。
 この向こうには「外」がある。
 そしてその「外」は、自分が本来いるはずの「夢の外」へと繋がっている、と。
 静謐の部屋のドアを開け放てば、果たして、そこには「外」があり、そこには「海」があった。
 いや、海ではあるが、普通によく知る海とは少し様子が違っている。
 目の前に広がるのは、冥くゆらゆらと揺れる水。
 時折、姿の見えない魚が鱗を煌めかせて泳ぐような瞬きが見え隠れし、頭上からあえかな光が届く、其処は海の底。
 きっと月の光だ、と何の根拠も無いが、ひろゆきは思った。
 その冥く揺れる海の底へ踏み出せば、手を引く赤木もひろゆきの後をついてくる。 
 海の中なのに呼吸が苦しかったりはしない。
 それは、これが夢だから、だ。
 そして、これが夢だから、可能なはずなのだ。
 外へ、夢の外へ、赤木を連れて出る、という願いさえ。
 冥い水の中を揺らめく光が仄かに足元を照らし、其処に道らしい道はありはしないが、ひろゆきはひたすら、前を目指して歩いていった。
 この海の底も、部屋と同じ静謐。
 ひろゆきは、時折、赤木がいることを確かめるように振り返った。
 勿論その手を引いているのだから、引いている感触はある。
 然し、部屋と同じ静謐が漂う此処は未だ、外とはいえ夢の中。
 夢の外へ繋がる確信を持ってはいても、消えてしまうのではないかという不安を拭いきることができない。
 その不安が、ひろゆきを何度も振り返らせた。
「赤木さんは、俺の夢の中で、俺が眠るのをずっと待っていてくれたんですよね。」
 不安を振り払えるならどんな些細な方法でもいい、例えば、言葉を掛けながら歩くとか。
「俺が起きている間の夢の中って、どんな感じなんです?」
 声は返って来ない。
 けれど、ひろゆきの声を聞いている気配は確かにあり、その気配があることに安心する。
「夢の中に時間の感覚があるかどうかわかりませんけど、赤木さんのことだから、麻雀ができなくて退屈してたんじゃないですか?」
 麻雀をしようにも面子が揃わないし、とひろゆきが苦笑すると、同じように苦笑する気配が伝わってくる。
 そうだ、夢ならば思いどおりになるとはいえ、これはひろゆきの夢だ。
 その夢に棲む赤木以外、夢を見る当人のひろゆきでさえ、眠らなければ夢の中には来られないのだから、夢と自覚する夢に他の誰が現れようはずもなく。
 夢から出てしまえば二人きりではなくなる、ということだけは、少し惜しいけれど、本当に欲しい赤木が、夢の中では存在し得ないことにひろゆきは気付いてしまったのだ。
 だから此処から、夢から出る。
 然し、冥い海の底は茫洋と広く、姿の見えない魚達が星のように煌めいたり、仄かに揺らめく光が、遠くに街明かりのような幻を作っては、揺れて消えていくばかりで、何処が夢の終わりなのか、未だ見当もつかなかった。
 歩く速度が段々と速くなってゆく。
 早く、この夢から出なければ。
 夢の安寧の象徴だったのだろう静謐の部屋を出てしまった今、ひろゆきが次に夢を見たときに、あの部屋にもう一度赤木がいる保証は、もうない。
 連れて帰る、あの日消えた赤木を、今日こそ、連れて帰るのだ。
 そのためには、夢から覚めてしまう前に、夢の中から逃げ出さなければならない。
 焦りのような感覚に囚われ、脚はとうとう駆け出す。
「……出来る筈だ。だって、これは夢。全て俺の思いどおりになるんだから。俺がいるのは夢、俺の夢の中…なんだから…!」
 赤木の手を握り締め、もう一度振り返る。
 半ば引き摺られるようについてくる赤木を確かめて、尚も駆けて、息が上がりながらも自分に言い聞かせるように、何度も呟く。
 今度こそ。
 現実の、あの日の自分にはできなかったけど、此処は夢、これは夢、今度こそあなたの手を離さずに、今度こそ。
 駆け続けて、どれくらいだろうか。
 そこが果てなのか、視界の冥さが薄まり、海の底が明るくなり始めた。
 恐らく、夢の中と外を別つ境がもう近くにあるのだと感じ、ひろゆきの胸中が歓喜に騒ぐ。
 夢なんだ、だからこんなに簡単じゃないか!
 もう少し、あと少し。 
……けれど。
  そのあと少し、で、この夢から出られるという確信を持ったその時。
 不意に、しっかりと掴んでいた筈の手が、空気のようにその質量を失くし、手の中から消える。
「……え…っ…?」
 思わぬ事態に振り返れば、ひろゆきの後ろ、少し離れて、赤木が立っていた。
 少し困ったような顔をして、それから、ゆっくり痛みに耐えるように。
 笑う。
 訳がわからず、おろおろとしながらひろゆきが赤木に詰め寄って手を差し出すが、赤木はその手を取らず、その笑顔のまま、動こうとはしない。
「赤木、さん…? どうしたんですか、行きましょうよ、もうすぐ其処なん」
「 ひろ 」
 話し掛けようとしたひろゆきの言葉を遮ったのは、初めて、夢を見始めてから初めて発された赤木の、自分を呼ぶ声、だった。
「夢だから、な。」
 ひろゆきが幾度となく繰り返したその言葉が、赤木の口から発される。
 そのたったひとつの言葉が、ひろゆきの動きを全て縛った。
 思い出す。
 この美しい笑い顔は、あの日の、最後の。
 あんなに聞きたいと思っていた声を、然し今此処で聞くこと、それはある意味、ひろゆきのにとっての最後通牒のようなものである。
 聞きたくない、というように弱く首を振るひろゆきを見る目も、あの日と変わらない。 
 これは、あの日の再現なのだろうか。
 あの日と同じ思いを、またするのだろうか。
 だが、向き合う赤木の口からは、あのときのようにひろゆきを諭す言葉は終ぞ出ず。
「……俺みたいな人間を本当に欲しいと言ってくれて、ありがとよ。」
 それだけ言うと、口許に湛える笑みを深くし、未だ何か追い縋る言葉を探すひろゆき手を伸べた。
 その手の指が軽く額を小突けば、とん、と、軽い衝撃が起きる。
 視界が、まるで世界が裏返しになるような感覚で暗転した。
 夢が、途切れる。



 あいたかった 
 あいたかったんですあなたに
 あなたに
 あなたに

 あなたに あいたい ! 



 叫んだ自分の声で目が覚める。
 ぜぇぜぇと、全速力で走った後のような息を吐いて跳ね起きれば、早鐘打つ心臓の音が、自分の耳にも聞こえるようだった。
 朝ではなかった。
 多分まだ夜明けには程遠い真夜中、窓の外は真っ暗で、寝る前に明かりを消した部屋の中も無論、真っ暗なままである。
 その真っ暗な部屋の虚空を、起き抜けで視界も定まらないまま目を見開いて凝視しているのは何故だ。
 掌で顔を覆うと、じっとりと手が濡れる。
 酷い汗だ、と思った。
 だが、顔を覆う掌を濡らすそれは、見開かれた自分の目から溢れている。
 涙、だった。
 今度こそ、願って、叶うはずだったのに。
 夢の中の赤木を夢の外に連れ出せば、今度こそ失うことはないはずだったのに。
……いや。
 夢の中の赤木は最初から赤木だった。
 差し出す手を取らなかった赤木こそ、ひろゆきが本当に欲しいと願った赤木だったのだ。
 この夢が、あの日、その機会を得ながら手を差し出すことさえできず、悔いと未練ばかりを引き摺るひろゆきを救い上げる為の夢であったことに思い至る。
 だくだくと涙を流し続け、然し、あの日とその涙の質が違うことに、ひろゆきは不意に気付いた。
 そして泣きながら、何故か、それを嬉しいと思い始めていた。 













 やっと、
 あなたが死んだのだということを、
 理解しました。